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『君の名は。』 α-β解釈による状況分析

君の名は。

君の名は。』ネタバレが含まれます。


映画『君の名は。』における基本的な物語は「入れ替わり」と「タイムリープ」の複合によって展開します。
以下本文では、その時系列と「タイムパラドックス」――時間軸を遡って過去の出来事を改変した結果、因果律に矛盾をきたすこと――を防ぐための「世界改変」(あるいは世界線移動)の仕組みについて論じて行きたいと思います。




今回は、宮さん(@miya38oscar)の以下のツイートに掲載された時系列表と、その補足説明への点検という形で展開させたいと思います。


以上の時系列表は、世界線解釈の観点で作成されています。
過去→未来の因果律を満たす決定論のような時系列が「世界線」であり、過去を改変することで未来、そして現在に影響を及ぼす時、既定事項が因果律を超えた領域で振る舞う事態を解釈するのに、「世界線」の概念は欠かせません。




これに対する宮さんの補足ツイートを整形して一部引用したものが以下になります。

【補足2】β世界線の三葉と瀧に入れ替わりはあったのかというテーマですが、ver2の時系列表においてはそれは無かったとしています。


理由①そもそもβ世界線は13年10月4日に瀧が三葉に入ったことで生じた世界線であり、β世界線に13年9月~10月3日は存在しないと定義しているため。


理由②β世界線とはα世界線から移動した三葉により、三葉の死が回避された世界線であるため、入れ替わりが発生する理由がない。


理由③β世界線での瀧Bが入れ替わりを経験しなかったとしても、16年10月x日の時点で瀧Bが山頂に行くことは矛盾しない。(理由は分からないが糸守の彗星事故に強く惹かれ、事故について調べていたという回想あり)


理由④α世界線では、瀧と三葉は少なくとも数週間に渡りお互いの名前を憶えている。β世界線に来た途端に、別れた直後に名前を忘るようになったのは、α世界線と何か違う要因がある=βは入れ替わった経験のない世界線、と考えると説明がつく。


ただ、このβ世界線における入れ替わり不発生説には若干の矛盾もある。まずは、β世界線13年10月4日に四葉が三葉を起こすシーンで、「お姉ちゃんまたおっぱい」という台詞があり、10月4日以前の三葉と瀧の入れ替わりの存在を連想させること。また、瀧Bが16年委糸守に行った際に、奥寺先輩と司がβ世界線においても同行しているとの回想がある。入れ替わり不発生の場合は少なくとも奥寺先輩が瀧に同行しているのは不自然ではないか、という点。

これら矛盾点については現時点では有効な説明ができない。やはり複数世界線という構図自体を見直さなければ、正確な時系列には近づけないのか。

[宮@高山らーめん一つと (@miya38oscar) | Twitter 2016年9月5日2時23分]


以下、宮さんの「β世界線の三葉と瀧に入れ替わりはあったのか」というテーマに対して、発生する矛盾の原因について考え、可能ならば代替案を出したいと思います。
(ツイートから推測して考えているだけなので、重大な勘違いなどありましたら申し訳ございません……。)


矛盾②について


矛盾② 瀧Bが16年に糸守に行った際に、奥寺先輩と司がβ世界線においても同行しているとの回想がある。入れ替わり不発生の場合は少なくとも奥寺先輩が瀧に同行しているのは不自然ではないか、という点。



矛盾② について、完全に推測なのですが。

以上のツイートによる補完で説明できると考えます。
確かに奥寺先輩は「入れ替わり」した後の瀧を魅力的に思っていたのですが、デートの終わり、歩道橋の上で「そして今は、他に好きな子がいるでしょう?」と言った奥寺先輩は、瀧の「女子力の急激な喪失」を見て絶望した、という様子はあまり見られません。


そしてその後、奥寺先輩は飛騨山中に付いて来ました。
彼女は、理由③から想定できる「熱病のように彗星に興味を持ち夢中になって調べた」瀧に魅せられていた、という可能性をということを考えることができます。

ただ女子力が高い瀧くんだけに惚れこんだのではなく、何かに夢中になって追いかけていた瀧。かつては自分=奥寺に惹かれる凡夫の一つに過ぎなかったけれど、それよりもずっと大事なものに手を伸ばそうとしていた瀧が、いったい何を見ていたのか。それを知ろうとして飛騨山中に付いて来た、と解釈することで、「入れ替わり」が発生しなかった「β世界線(じつは後述のβ´世界線)」でも奥寺先輩(そして司も)が飛騨山中に付いてくる可能性を考えることができます。

問いの言い換え

「β世界線の三葉と瀧に入れ替わりはあったのか」についてです。

13年10月4日の朝、16年10月x日から瀧が「入れ替わり」をして糸守に来ます(この時点で「入れ替わり」が発生していると言える?)。
13年10月4日の夕方、「カタワレ時」が終わった後、三葉は瀧のことを「忘却」せずにβ世界線13年10月4日の三葉自身の体 (魂時間はズレている) に戻ります。

この時点でも、「入れ替わり」を経験した三葉がβ世界線に残存しているので、β世界線で「入れ替わりが無かった」と判断することはできないと思います (入れ替わり対象が他世界線である場合も「入れ替わりあり」に含めていいのか? という問題があるかもしれません)。

以上、「瀧が三葉に入る」「三葉が自分の体に戻る」という二つの地点ですでに「入れ替わり」が起こるため、「β世界線の三葉と瀧に入れ替わりはあったのか」という問いには、「あった」と答えるべきではないか、と考えます。



もし、これらが「入れ替わり」ではないとすると、「β世界線の三葉と瀧に入れ替わりがある」と判定される事態の要件がどのようなものかを確認する必要があります。
個人的な推測として、宮さんが想定する「ある世界線上の入れ替わり」には他の条件が加わっていると考えています。

まず一つ、条件として考えられるのは「ある世界線上での『入れ替わり』は、同一世界線上での人間同士で行われる必要がある」
もう一つ、「『入れ替わり』による作用が安定的なものである (=過去改変を行わない)」

という二つの条件のうち、どちらか一方あるいは両方の条件です。

後者の条件は、すなわち三葉が死んだ場合のα世界線が例に挙げられます。
α世界線では、三葉は死に、しかし瀧は「入れ替わり」を夢のような出来事として覚えたまま生きています (これは前者の条件の例にもなります)。
しかし一方で、β世界線を考えると、三葉は死を回避することによって、瀧・三葉両名の「忘却」が発生します。劇中では、三葉サイドの「忘却」は説明されませんが、「入れ替わりを元の体に戻った三葉が記憶している」(あるいは、テッシーらによる瀧モードの三葉の記憶)という状態が、おそらく三葉の生存イベントにより、強制的に変異する、つまり、(周囲の、三葉の「奇行」を記憶する人々たちを含めた) 強制的な「忘却」が発生するはずです。

この「強制的な忘却」すなわち「改変」が、非因果的な文脈で引き起こされるという意b味で、入れ替わりの作用が安定的ではありません。そのために、「β世界線では入れ替わりが起きていない」と言うことは可能だと考えます。

しかしこの場合、非因果的な事態が発生することで「改変」された世界は、「β世界線」と呼ぶべきなのでしょうか。

上で(僕が勝手に仮定した)前提である「世界線の因果律・決定論性」が、非因果的な「改変」によって崩れている時点で、それは元の世界線ではなく、「β´世界線」と呼ぶべきものではないでしょうか、と提起します。

それゆえに、「β世界線の三葉と瀧に入れ替わりはあったのか」という問題は、おそらく次のように表現されるべきです。

「β´世界線の三葉と瀧に入れ替わりはあったのか」


これは僕が推測した議論であり、宮さんのお考えになっていた世界観設定とは異なってしまうかもしれません。しかし、このエントリ内では、「問いはこのように表現されるべきであった」と仮定して、話を進めて行きたいと思います(違ってたら本当にすみません><)。

矛盾①について

矛盾①「β世界線13年10月4日に四葉が三葉を起こすシーンで、「お姉ちゃんまたおっぱい」という台詞があり、10月4日以前の三葉と瀧の入れ替わりの存在を連想させる」

この矛盾は、「β世界線の三葉と瀧に入れ替わりは無かった」とすることと矛盾します。

この「β世界線の三葉と瀧に入れ替わりは無かった」とする理由について、「『β´世界線』に移る(=忘却する)ことで13年10月4日での『入れ替わり』の経験は解消される」と考えることができます。

しかし、宮さんは13年9月~10月3日までの入れ替わりも、瀧がβ世界線に入った時点で、そもそもそれは(本来α世界線で起こったことなので)発生しているべきではない、と考えていらっしゃる、と思います。


この「β世界線の三葉と瀧に入れ替わりは無かった」とする最も強い理由であると思われる以下の理由①について、

理由①そもそもβ世界線は13年10月4日に瀧が三葉に入ったことで生じた世界線であり、β世界線に13年9月~10月3日は存在しないと定義しているため。

苦しい説明ですが、次の話をしたいと思います。以下は自分の考えた可能性です。

矛盾①を解消する別のアプローチ

僕が好きな哲学的な仮説に「世界五分前仮説」というものがあります。「過去が無かったとしても、過去とされるものを作ることはできる」、というより、過去とは、記憶の整合性に過ぎません。

それゆえ、β世界線が出来る以前の事象について、「確かに実際『入れ替わり』は起こらなかったけれど、『入れ替わり』が実は起きたように、あらゆる環境(人間の記憶、物体への影響)が設定された状態でβ世界線が生まれた」と考えることもできます。

β世界線では確かにメタな視点からは「入れ替わり」は起きていないけれど、三葉のサイド(四葉や一葉)では、「入れ替わり」が起きたように認識しているし、事実、瀧の記憶としても「入れ替わり」をした、と考えている(α世界線の過去とβ世界線の過去が完全に一致する)ので、実質「入れ替わり」が起きていた、と見なされているだけなのです。

しかし、すべての人物に「実際にあった」と認識されている出来事が、「実は無かった」と主張することに、どれだけの意味があるでしょうか。「過去」の意味とは、人間の記憶の整合によって実質的に「推測」されるもの以上ではないのかもしれない、と思います。
そのため、僕はここでも、「β世界線で入れ替わりはあったか」というテーマに対して「(実質、つまり本当に)入れ替わりはあった」と考えています。

補足

α世界線とβ世界線について、β世界線は瀧が13年10月4日に「入れ替わる」ことで発生した世界線、と見なすことは可能です。そこで、13年10月3日以前の過去が完全に一致する、という話について以下の図で説明したいと思います。

画像は用意できていません……用意できたら更新します

結論としては、α世界線と、瀧がβ世界線13年10月4日に「入れ替わる」ことは矛盾せず、むしろこのβ世界線上での未来=16年10月4日はα世界線上と一致していると考える方がよい、つまり、α世界線とβ世界線は一致するのではないか、という可能性の提示を行いたいと思っています。α世界線で、瀧は一旦過ぎたはずの13年10月4日に、16年10月x日から再びアクセスしていますが、これは、3年間という「入れ替わり」の間隔が変化しただけだと考えられます。
瀧から見た世界の基軸時間(α世界線16年10月前後)は、α世界線から世界線移動したβ´世界線でも連続して動いているから、α世界線とβ世界線の間でも同様に連動していて、過去に起きた「三葉の死」についても、瀧が「口嚙み酒トリップ」をした時点ではまだ回避できていないからα世界線のままである、という見方ができるのではないか、ということです。

確定事項と瀧B

以上の議論では簡単のために、β(およびβ´)世界線における瀧A(入れ替わりを経験している)と瀧B(入れ替わりを経験しない)の区別を避けてきました。

ここで、宮さんは、β世界線において瀧Aが「片割れ時」以降ロストすることによって、入れ替わりを経験しない瀧Bのみが残り、そのために瀧Bが成長した姿として、β´世界線における16年10月x日の飛騨山中の瀧を考えいらっしゃるものだと思います (この場合、瀧側では確かに「入れ替わり」は経験されませんが、しかし三葉側ではある時間「入れ替わり」経験が残存するため、β世界線で「入れ替わり」が完全に起きない、と主張するのはやはり難しいと思います)。

以下では、β世界線からβ´世界線に移ったとき瀧がすべて瀧Bに置き代わる、という話について考えてみたいと思います。

不自然な点

まず、

理由③β世界線での瀧Bが入れ替わりを経験しなかったとしても、16年10月x日の時点で瀧Bが山頂に行くことは矛盾しない。(理由は分からないが糸守の彗星事故に強く惹かれ、事故について調べていたという回想あり)

という事象について、「なぜか糸守の彗星事故に強く惹かれ」てしまうことで矛盾②を解決できたのですが、「なぜか惹かれてしまう」その理由については説明することができません。

次に、5年が経ち大人になった瀧が、

気付けばいつものように、その街を眺めながら
俺は、だれかひとりを、ひとりだけを、探している。

という欠落感を抱えている、ということが説明できません。なぜなら、瀧Bは最初から「入れ替わり」を経験していないし、だからこそ「忘れて」なんかいないからです。「忘れる」というのは、もともとあった何かを失うことなので。

小説版P.7でも、

俺はあきらめてベッドから降り、部屋を出て洗面所に向かう。顔を洗いながら、この水のぬるさと味にかつて驚いたことがあったような気がして、じっと鏡を見る。

小説 君の名は。 (角川文庫) | 新海 誠 | 本 | Amazon.co.jp

という描写があり、入れ替わりした時の糸守の水の味と比較して、東京の水はまずい、と感じたことがあったという伏線を撒いています。


以上の二点

  • 熱意をもって彗星を調べた
  • 欠落感を抱えて大人になった

という部分が、必然的に展開されません。

以下で、その解決を図ります。

代替案

この案でも、「問いの言い換え」で仮設した議論「β世界線」と「β´世界線」の上に議論を進めて行きたいと思います。


「瀧A=α世界線で入れ替わりを経験し、β世界線13年10月4日の三葉に『入れ替わった』瀧」と「瀧B=β世界線において一連の『入れ替わり』とは無縁だった中学生の瀧」という分類についてですが、「忘却」が起きるときに瀧Aがロストし、その場にいたのは瀧Bの成長した姿だ、という仮定をやめ、新しいモデルを考えます。

「過去改変」が発生したときに、瀧が急激な空間移動をしてしまう*1など、整合が取れなくなる事象があります。これを避けるため、つまり改変前と改変後の「整合性」を保つために「確定事象」というものが存在する、と考えます。これによって「16年10月x日に飛騨山中のカルデラ山頂にいる」ことや、「16年10月に熱意を持って糸守の隕石事故について調べる」といった事象は、瀧Bの成長による必然的な行為ではなく、瀧Aの努力による遷移の必要条件(すなわち「確定事象」)として、逆にその結果に収束する形で未来から過去に至る経路が確定する、というものではないかと考えます。

「β世界線からβ´世界線」への遷移が発生するとき、世界線の遷移の整合(???)のために、「確定事象」を維持した状態で世界改変が発生すると考えます。「確定事象」はβ世界線からβ´世界線へ移動するために必要なアクションの原因として、そのアクションが行われた痕跡として維持される必要がある、という理由付けです。


このように考えると、瀧が「なぜか熱意をもって彗星を調べた」という部分は、「それが確定事象だったから」という(一見トートロジー的な)理由を持って説明できると思います。



この「確定事象」の話に対して、「瀧Aという魂、記憶の入れ物」の話をさらに接合すると、上記の「不自然な点」のうち、「欠落感を抱えて大人になった」という部分も説明できると考えます。

β´世界線で「入れ替わり」が無かったことになってしまった世界でも、瀧はなぜか「欠落感」を感じている。「瀧Aという記憶の入れ物」は、これを説明する手段です。
β´世界線16年10月x日山頂での瀧は、これまで「入れ替わり」を経験してきた瀧Aの魂がβ´の肉体に戻り、そのうえで「忘却」を経験した、記憶が上書きされたものです。このように解釈することで、その「欠落感」は、上書きし切れずどこかに残ってしまった記憶の痕跡なのだと考えられます。


瀧Bは、β・β´世界線の双方において入れ替わりを経験していません。それゆえ、「欠落感」を感じることもありません。しかし、「β´世界線」に移ったとき、瀧は16年10月x日に山頂にいるし、なぜか熱意をもって彗星のことを調べました。それは「確定事象」だったのですが、「確定事象」というのは、「瀧A」の痕跡です。瀧Aの「瀧Aらしさ」というのは、α世界線の16年9月以降に「入れ替わり」を経験したこと(すなわち三葉との接触)によって現れます。

ところで、この「確定事象」という軸は、β´世界線で16年9月までは普通に過ごしていた瀧Bに対して、記憶を忘却した瀧Aが接合されるという事態が起きたのと、まったく同質の事態としても解釈できます。
世界線の移動の「必要条件」は、世界線間の「確定事象」という軸による連結です。しかし、今回α世界線とβ´世界線では、その「確定事象」が16年9月以降に限定して発生します。ここで、瀧が「接ぎ木」されたものとして見ると、「確定事象」と「瀧Aという魂、記憶の入れ物」という概念を統一的に解釈できるのではないか、と考えます。


総括

まず始めに、β世界線とβ´世界線について、宮さんが考えていたものの分析と、自分の意見の援用の二つの用途のものを混ぜてしまっているので、ちょっと怪しい文章になってしまったかな、と思います(β・β´について、宮さんがこうお考えでなかったら、大変申し訳ありません。。)。

本エントリでは、「β世界線」と「β´世界線」に分けて問題を整理し、分けた後の細かい設定を、「確定事象」を用いつつ整合させる、ということを行いました。
同時に、瀧Aと瀧B、「入れ替わりの経験の有無」の問題についても、「世界線」に対して新しいモデルをあてはめて、並行して展開しました。

宮さんが展開されていた議論からは、「β」と「β´」に分けた時点でだいぶ遠くに離れてしまい、独自解釈によるつじつま合わせの側面が強くなってしまったな、と反省しています。ここまで、長文を読んでいただき本当にありがとうございました。


反省

今回、「確定事象」について書きながら思いついたものだったので、あまり説得力を持たせられなかったと思いますが、そこの部分は残念でした。けれど、「確定事象」はおそらく時間遡行物語の整合性を担保する設定としてかなり堅いのではないかと感じるので、今後これをうまく用いて『君の名は。』あるいは他の物語についても調べてみたいと思います。

一番の反省点は、矛盾①「四葉による『入れ替わり』の記憶」の説明でかなり誤魔化してしまっている点です。僕の見解としては、「β世界線」というものは生まれていなかった(「補足」による説明) (実は、それはα世界線であるとしても何も変わらない)、というもので、この見方であれば「β世界線」で四葉が入れ替わりを知っているのは何の問題も起きない、というものです。けれど、上手く説明しきることができず、この部分についても残念に思います。後日、別のエントリで解説する機会があれば、また書いてみたいと考えています。

*1:改変の整合性の例として適切なのか……? あんまり適切じゃない感じがします